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社長日記

2020 / 03 / 31

志村さん、ありがとう・・・

私は東京の小平市出身で

中学時代まで、そこで暮らし

高校に入るとともに、埼玉に移り今に至ります。

若き頃に他人にどこの出身?と聞かれると

小平と言っても解ってくれる人は少なかったため

いつも東村山のとなりだよ・・・と答えていました。

当時東村山は志村さんの東村山音頭で全国区で認知されていたのです。

その後、学生時代、サラリーマン時代と過ごす中で

私は宴会の席となると、なぜか東村山音頭を唄わされることに・・・

それはもう、特に学生時代しっかりと固定化されたものでした。

4丁目、3丁目はまだ良いのですが、

1丁目はきつかった・・・

志村さんのことはそれだけで、私にとって大きな存在でしたが

逆に大きすぎて、あまり意識できない存在でもありました。

 

昨日の訃報に触れ、しみじみと回想すれば

私の中に次々と志村さんが現れました。

病気がちな母親が具合の悪い床の中でTVの全員集合を見て笑っていたこと・・・

あの番組は、あの当時全てライブ放送だったのです。

父親が志村さんと居酒屋で一緒になり、飲み明かしてきたこと・・・

そして私自信、彼のお笑いでどれだけ救われてきたか・・・

笑いはいつの時も心のリセットでした。

こんなに早く逝かれてしまうとは思いませんでした。

しかも、いま全世界が立ち向かおうとしているウイルスの先方に立って。

悲しすぎます。

このたくさんの人の悲しみと喪失感は

きっとみんなの力を結び付け、勇気となって

ウイルスと戦う力の源泉となることでしょう。

最後までふざけて、

決してカッコよくなんて思っていなかったけれど・・・

失って知りました。

彼の偉大さ、カッコ良さ、温かさ・・・

志村さん本当にありがとう・・・

安らかに・・・   合掌